友禅染の歴史
染技法は中国から 絞り染め(纐纈)、蝋染め(蝋纈)、板染め(纐纈) 後に【天平の三纈(さんけち)】と呼ばれる三種の染技法が伝来し、平安時代には階級制度や十二単のようなかさねなど色の文化は深く根付いていきました。
時代が流れるに連れて 辻が花染、刺繍、摺箔、と紋様は豊かで豪華になり、そして糊を楊枝の先から垂らして糸のような線を描く楊枝糊技法などができて使われる色数は徐々に増えていきました。
染技法が増えるにつれて、着物の表現は広く豊かになっていきましたが、江戸時代に入り『奢侈禁止令』が言い渡されるとたちまち刺繍や金が施された着物が行き交うことがなくなりました。
華やかで禁止令に触れない技法。これまでの各々の染技法を応用し、糸目糊で模様の輪郭を象って防波堤を作ることで色混じりを防ぎ、自由で多色な色使いを可能にした。それが後に広く各地で脈々と受け継がれていくことになった染技法 友禅染 といえるでしょう。
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